砂糖から生まれる芸術作品
「シュガーローズ」を手掛ける
西山美なコ先生からアート教育について聞く。
砂糖という身近な食材。実は、砂糖は水分や熱を加えることによって見た目や形状を変化させられる素材のひとつ。
その特性を生かし、製菓材料「シュガーペースト」を使ったアートを発表している西山美なコ先生に、アートの表現として砂糖を使う理由やシュガーローズとの出会い、子どもたちに向けてアートとの関わりをどう考えるかを聞きました。
西山 美なコ / Minako NISHIYAMA
- 1965年
- 兵庫に生まれる
- 1989年
- 京都市立芸術大学美術学部油画専攻卒業
- 1991年
- 京都市立芸術大学大学院美術研究家彫刻専攻
- 1997年
- Asia Cultural Councilの助成を受けてニューヨークに6ヶ月滞在
- 2003年
- Banff Creative Residency/カナダに参加
- 2006年より
- 京都精華大学立体造形コース非常勤講師
砂糖を素材にした
芸術との出会い
なぜ砂糖という素材を作品に使い始めたのでしょうか?
今田美奈子さん(洋菓子研究家)の本をたまたま本屋さんで見つけたのがシュガークラフトとの出会いでした。
いろいろな本が並んでいた中でなぜそれを買ったかというと…当時の私は、少女漫画とか宝塚とか、女の子的なものや消費社会をモチーフにした立体作品を作っていたので、世界観に何かピンときたんでしょうね。ただ、それからすぐに砂糖の作品を作り出したわけでなく、しばらくは手元において見ているだけでした。
その後、地元の兵庫で阪神淡路大震災(1995年1月)がありました。今思うと、いろいろなものの概念が崩れていく始まりの年みたいな感じでしたね。
私は昭和の高度成長期に生まれて、多くのものが右肩上がりで成長していく中で育ちましたが、震災の他にも、地下鉄サリン事件(1995年3月)など、衝撃的な出来事が多かったので、その頃はちょっと「アートってやってて意味があるんだろうか…」という気分になりました。そういうところから(それまでのポップでビビットな色合いの作品から)とことん淡い色彩の壁画とか、儚くて繊細なシュガーアートの作品がでてきた感じがしています。
砂糖を使った作品を最初に作ろうと思ったのは、1997年に発表したシンデレラの靴のような作品でした。実はこういったものを自分で作れると思わなくて、まずパティシエやシュガークラフトの専門家を探すところから始めました。
「甘くて儚いシュガークラフトって女の子の世界を表現するのにぴったりだな」と感じ、靴と一緒にティアラもアイシング技法で作ってもらいました。

1997年《 Untitled 》
Photo/ Ituki Sakakibara
その後、1999年から「Sugar Crown」を作り始めました。
イメージ画を見せて「こんなことはできますか?」と技術ぎりぎりのところを攻めながらデザイン画を何度も描き直しました。ティアラよりもさらに細い口金(絞り口)を使ったことで、シュガークラフトの先生も組み立てた後に「はぁ〜(壊れそうだから)触りたくないわ」という「Sugar Crown」に仕上がりました。
シュガークラウンは幾つも作ったのですが、それぞれの運命によって崩れ方も違います。その崩れ方に魅せられ、写真を撮っていくうちに「destiny of Sugar Crown」というシリーズになっていきました。アイシングなので脆くて、私も触れない。ティアラと少し違って王冠は権力や欲望の象徴です。手に入れよう触れようとしたら壊れていく... そんなちょっぴり意地悪な作品です。

1999年《 Sugar Crown 》
Photo/ Yukio Yoshinari
2004年には「夢みるタカラヅカ展」で初めて自分でシュガーローズを300個以上つくり、作品を出展しました。
タカラジェンヌって手の届かない、ベールに隠された存在というイメージがあったんです。秘密の花園のような...

2004年《 愛はとこしえ/シンデレラガーデン 》
Photo/ Yoshiharu Sasaki
こうした作品を作ってきましたが、シンデレラの靴も触ると崩れてしまうティアラやクラウンも、触りたくても触れない憧れとか欲望、そんな意味で作っていて、その延長でバラも自然に作るようになりました。繊細なアイシングと違ってシュガーペーストは、私でもできそうに感じ、先生に教えてもらうようになりました。 シュガークラフトの世界では、バラはお菓子のデコレーションとして最も人気の一番よく使われるモチーフなんです。
砂糖でできたバラ
シュガーローズ
瀬戸内国際芸術祭(2022年秋)の作品「~melting dream~高見島パフェ 名もなき女性(ひと)達にささぐ…」は、日本の古民家に大量のシュガーローズが飾られて幻想的でしたね。
「古民家にバラの作品を飾る」というところまではディレクションした先生(注1)から依頼されたんです。「築100年ほどの和風建築に、はたしてバラは合うのかな?」とも思ったんですけど、いろいろ考えて「高見島パフェ」というプランを出しました。
※注1:瀬戸内の島の一つである高見島での展示は、京都精華大学有志による「高見島プロジェクト」として行われていた。
瀬戸内海のこの辺りには、昔から塩飽水軍(しわくすいぐん)がいて、江戸時代末期や明治時代に活躍した水夫や船大工、外国に渡った人などの男性の武勇伝が多く記録に残っています。また、80年ほど前は蚊取り線香の材料となる除虫菊の栽培が盛んで1000人ほどの人口があったと聞いています。
そういった歴史がある高見島に何度も通い、展示のために古いお家を片付けながら昔に思いを馳せる中で、「それだけ人がいたなら、記録には残っていないけれど活躍を支えた女性たちも多くいたはずだ」と考えたんです。
崩れていく島を強調するのは悲しいのですが、人が住まなくなった古い家が徐々に崩れて植物に飲み込まれていく様子と、砂糖で作ったバラが溶けて崩れていく様子はシンクロして感じられました。
また、砂糖でできたバラというのは、どこか女性的なモチーフでもあります。
そんなことを思いながら通っているうちに、記録に残らない女性たちの、楽しげでひそやかな生活があったに違いない、ここに住んで育った乙女達がいたはずだ。そんな女性たちへのオマージュとして、バラを飾ろうという思いに至りました。結果、グラスに一輪ずつ女性に見立てて飾ったシュガーローズが約130個にもなりました。
先生は今回の「高見島パフェ」より以前にも「〜melting dream〜」とタイトルにつく「溶けていくバラ」をモチーフにした作品を多く作られています。今回は以前の展示と違う点はありましたか?
今回のシュガーローズの着色には、島で採れた自然由来の素材を多く使いました。島で採取した山葡萄で紫がかった色、びわの葉からは、なんとも言い難い微妙なトーンのびわの実のような色が取れました。シュガークラフトの着色料よりも繊細な色合いが沢山できました。
また、展示したばかりの頃は硬くて割れやすかったんですけど、一か月半も展示する中で湿度を含んで溶けて、グラスの中にゆっくり沈んでいくようになりました。溶け具合は、外気の当たり方など部屋のどこにあるかでも違いますが、不思議なことに色によっても違うようで、山葡萄で着色したものは他の色のものより早く溶けていきました。
シュガーペースを使った「シュガーローズ」の作り方を教えてください。
シュガークラフトで作ったものは、お菓子やデコレーションケーキの装飾にも使われますが、その中でもやっぱりバラが一番よく作られています。
お菓子の世界のものをアートに持ち込む人はなかなか少ないですが、技術としてはオープンなものです。私も最初はシュガークラフトでバラを作る方法を先生に習いました。
まずは着色したペーストを練って、のし棒で薄く伸ばします。それを花びら型で抜きますが、 ヘラを押し当ててさらに端を薄くします。そうするとひらひらと波打って花びらのようになっていきます。ここがミソですね。
花びらは数枚まとめて作って、用意しておいたバラの芯に一枚ずつ貼り付けていきます。 その時点ではまだ柔らかい状態なので、上を向けたり逆さにしたりして、乾くまでの間に花びらの形を整えていきます。スポンジ片と重力をうまく利用して、自然な花びらの形にしていくんです。そうすると手のあとや指紋などを残さずにバラが出来上がります。触り過ぎない方が優雅なバラになるんですよ。
作った端から少しずつ乾燥して固まっていくので、ぱっぱっと手早く作らないといけません。集中力がいるので一日に5〜10輪ほどが限界ですね。
一日に作れる量が限られているので、「高見島パフェ」は秋の展示に向けて4月から作り始めました。湿度が高いと湿気を吸って形が変わってしまうので、梅雨の時期にはバラのために夜もエアコンをかけていました。大量に飾るので早く作り始めないといけない、でも長く保管すると湿度の影響を受ける。そのせめぎ合いが難しいところでしたね。
また、完全に乾燥させると今度は割れやすくなるので、島に運ぶときはアトリエで一輪ずつ紙に包んで、洋服用の薄型のコンテナに詰めて行きました。集落の一番高い坂の上が展示場所だったのですが、細い階段しかなく、運び上げるのは人海戦術しかなく、他の作家さんや芸術祭のボランティアさんにも沢山手伝ってもらいました。
お子さまには、やりたいことを制限なくやらせてあげたい
先生ご自身について、どういう環境で育ちましたか?
私自身は田舎育ちで、山に登って遊んでいました。昆虫は怖がりませんけど好きというほどでもなくて、植物の方に興味がありましたね。母も花や野草を育てていました。また、学生時代はワンダーフォーゲル(山登り)をしてましたし、スキンダイビング(素潜り)で和歌山の方に潜りに行ったりと、アクティブに過ごしていました。
また、両親が共に美術教師だったので、子供の頃からいつでもお絵描きができるように、画材や画用紙はふんだんに与えてもらいました。絵を描きながら遊んだり、美術館にもよく連れて行ってもらっていたので、高校生の頃には絵を見るのが自然と好きになっていましたね。
先生は学生(美大生)時代に油絵を専攻され、大学院に進んでからは彫刻に移られていますが、
専攻を変えたのはなぜですか?
子どもの頃から、ファッションデザイナーとか将来なりたいものがいろいろとありました。最初に油絵を専攻したのは、デザインや工芸に絞ることができず、一番ベーシックそうな絵画を選んだ、というのが理由です。
当時大学では平面のクラスにいながらちょっと立体的なことをすると「なんで絵描かへんの?」とまわりにも教授にも言われましたね。私は絵画から少しずつはみだして、作品が立体的になっていったので大学院は彫刻に進みました。現在は京都精華大学で非常勤講師として教える立場ですが、今の学生は立体造形(彫刻など)を専攻しながら絵を描いている学生とか、洋画専攻だけどインスタレーションに取り組む学生とか、みんな自由に興味があることをやっていますよ。
ご自身の経験を踏まえて、子どもたちに対して
「こういう風にしてあげたらいいんじゃないかな」というご意見はありますか?
私は子どもがいないのでアドバイスが難しいんですが…子どもが自由な時間を過ごす中で、何かにキラッて目が輝いたとき、その時間を大切にしてあげるってことじゃないかな。親の都合で「ダメよ」とか「もう行かなきゃ」とか言ってしまいがちだと思うんですけど、子どもの目が輝く瞬間はなるべく時間と空間を見守ってあげたい。空の広いところとか緑の多いところとかも含め、いろいろなところに連れて行って、様々な体験をさせてあげたらいいと思います。
それにしても、今は美術館でも子ども向けのプログラムが用意されていてうらやましいですよ。私は小さい頃は大阪の枚方市に住んでいたのでまだ大阪や京都の美術館に行きやすかったんですけど、小学校3年生で田舎に引っ越してからは多分親ががんばって連れて行ってくれていたのだと思います。まあ、「自分たちが見たいから」というのが一番の理由でしょうけど(笑)。ただ、今ほど子連れで美術館に行ける環境ではない中、よく連れて行ってくれました。
親は親で自分のやらなきゃいけないこともあるし、難しいとは思いますが、子どもにはリアルに水と戯れるとかそういうことも含め、いろいろ見る、体験することはやっぱり大事だと思います。小さい頃にはいろいろなことをやらせて、高学年になったらやりたいことを制限せずにやれる環境を整えてあげてほしいです。
あとがき
やんわりとした関西弁で語られる西山美なコ先生。でもインタビューを書き起こしてみると、まず先に結論を話し、それから経緯や補足をするという話し方であることに気づきました。いろいろな表現方法を使いながら、「惹きつけられる」ものとその理由を探求されている様子は、最初に仮設を立ててから検証していく大きな実験のようだとも感じました。
芸術には作者の思いや意図が必ずありますが、実際にアートを見てなにをどう感じるかは個人の自由。子どもたちと芸術祭や美術館に出かけて、どう感じたかの感想を話し合ってみてはいかがでしょうか。一個人としての興味深い考えを聞かせてくれるのではないかと思います。

